1950年
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 1950年、セ・パ両リーグ分裂の大きなきっかけは、新球団、毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)の日本野球連盟への加盟問題だった。
シーズン前半のビジター用はドジャーズ型。

 前年の49年、「日本もアメリカのように2大リーグでいくべきだ」という、コミッショナーに就任した正力松太郎の発言が発端となって、それまで8球団制を維持してきた日本のプロ野球界は再編成に動きだした。
 そもそも毎日新聞に加盟を勧めたのは「ライバルと相争うところに発展がある」と考える正力さんだったのだが、彼のお膝元の読売新聞、読売ジャイアンツの幹部は猛反対した。
 その結果、日本野球連盟は毎日新聞を加盟させるコトでジャイアンツを牽制しようとする球団増設賛成派と、ジャイアンツを中心とした反対派の二派に別れるコトになり、最終的にはそれぞれが新球団を加えて賛成派がパ・リーグ、反対派がセ・リーグを結成したのである。
 ま、このへんの詳しい話は、プロ野球史関係の本でも読んでいただくとして、ココでは新生毎日オリオンズのユニフォームについて説明しなければならない。
ホーム用はヤンキース型。写真提供ベースボールマガジン社

 シーズン前、四国の高知球場でキャンプをはっていたオリオンズ・ナインが着ていたのは、胸にMainichiと書かれ、左袖に毎日新聞社の社章のついた白いユニフォームだった。
 だがコレはキャンプの練習用で、シーズンが始まると新しく別のユニフォームが登場する。
 現在のホーム用にあたるのが、ニューヨーク・ヤンキースを意識した紺の縦縞ユニフォームで、左胸には毎日のMの飾り文字がついていた。開幕当初、袖にはなにも入っていなかったが、5月あたりからオリオン座の三ツ星をデザインしたワッペンが付けられた。そして帽子は紺と、夏用に白地に縞模様でひさしが紺の二種類のタイプが使われていた。
 一方、現在のビジター用にあたるグレーのユニフォームのデザインはキャンプ練習用の白いユニフォームとほぼ同じ。胸マークはMinichi、左袖には社章がついていた。ただこの社章も5月あたりからオリオンの三ツ星ワッペンに変更される。
 しかしこちらのユニフォームもよく見ると、その形にドジャーズの影響が見受けられる。ヤンキースとドジャーズという大リーグにおけるアメリカンリーグとナショナルリーグの人気二球団のスタイルを真似するコトで、親会社がライバルであり、球団としてもライバル視していた読売ジャイアンツを越えようと考えたのかもしれない。
 ちなみにこの年、オリオンズはシーズン後半から、胸マークがOrionsのグレーのユニフォームも着用していたというコトも付け加えておきたい。